2012年9月18日火曜日

どっかん(ここは退屈迎えに来て)

大阪の南の外れにある実家に帰りしな、難波のジュンク堂で山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」という単行本を買った。 ちょっと前、ツイッター上で誰かがリツイートしてるのを見かけて、何か思うところあったのかそれを覚えていて、1ページ目の始まりが良かったのですぐにレジに持って行った。南海電車で読み始めて、郊外の実家に向かう状況とも相まって大いにハマった。

郊外の町を舞台にした8つの物語が入っていて、舞台となる町や登場人物などの設定がそれぞれの物語に絶妙に連続している。何でもやれそうな気がした10代があっちゅう間に終わってしまって、なんとなくウダウダしてる間に20代後半に突入、自分には出来ないことの方が沢山あるってことや、あんなに忌み嫌っていた画一的な生活スタイルが今の自分にとって快適なものになっていることに気付いてしまった、もう若くはない若者たちが描かれている。自分とおなじ。

一冊を通して、椎名君という登場人物の扱い方が秀逸で、めちゃめちゃ切ない思いを何度もさせられた。ほとんどの物語に椎名君は登場するが、あくまで彼は登場人物として存在し、それぞれの物語、時系列の中で、それぞれの主人公との関係性の中で現われる。主人公目線で描かれたそれぞれの物語を読み進めていくと突然、全く別の文脈に放り込まれた椎名君が現われるという…。このやり方に何度もくらっとさせられた。もしこの小説が、椎名君の時系列に沿った「椎名君の物語」だったら、ありがちな都落ち小説だった。複数の異なる視点から描かれた「椎名君」はこんなに切ない。

実家へ向かう南海電車と、実家から京都へ帰る南海電車~阪急電車で読み終わるくらい軽い文体で書かれていて、めっちゃ読みやすい。現代の文学に殆ど触れたことのない自分にとって、3.11やツイッター、フェイスブックなんかが登場するところも一々新鮮に映った。

あと、映画「サウダーヂ」を観た時にも思ったけど、アンチ画一化!fuckファスト風土!とか頭で唱えながらも、ロードサイドに暮らす当事者たちが、そのライフスタイルを享受し、なんだかええ感じに暮らしているということ(のヤバさ?あるいは希望?)、引き続き。
そう、サウダーヂの後で読んだ思想地図(ショッピングモーライゼーションが入ってる号)でも、東さんがショッピングモールに見出していた許容性だとかに、ほんの少しうなずいてしまった自分もいたのだった。

いまバイト先で本が手元にないけど、他にも現代の文体ならではのハッとする描写がいっぱいあった。普段小説といえば、現実から逃げられるように明治~大正くらいのものを何となく読んでいたけど、同時代の小説って案外面白いのかも~と思った。

p.s.
実家で仏壇まわりを掃除していたら、こんなカメラが出てきた。
無骨な一眼レフでも愛らしいハーフサイズでもなく、80年代てんこ盛りのフルオートコンパクト。

2周まわってかっこいい
フルオートでゲイジツ性を微塵も感じさせず、右下に日付なんかが入っちゃって、ちょっと暗くなったらすぐストロボ使わされるようなカメラって素敵やな~、と思っていたので、箱付きがひょっこり出てきてくれて嬉しい。コニカのC35 MFDというモデルで、長らく続いたC35シリーズの国内最終モデルらしい。おじいちゃんはコニカのことを小西六と言っていた。

京都に帰って単三電池と35ミリフィルムを入れてみると見事にオートで巻き上げやがった。すごい。ただし、重要な要素である日付焼付け部分の電源は単三電池ではなく、裏蓋に隠されたリチウムボタン電池らしく(ネット調べ)、それを交換しないことには例の86' 9 18っていうデートは表示されない。BR2320っていう電池はとっくに生産終了、互換性のあるCR2320は辛うじてネット通販で海外製を購入可能とのこと。36枚撮りのフィルム入れてしまったので、チャッチャと撮り切ってボタン電池を交換したく思います。ちなみに取扱説明書によると、オートデートの設定で2019年まで表示出来るそう。

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